ハチ

開業して間もない頃一匹の仔猫との出会いがあり、その子に「甲斐ちゃん」と名付け大切な「病院の仲間」として迎え入れることとなりました。

それから程なくして知人が一匹のワンちゃんを胸に抱いてやって来ました。見るとクリクリッとした瞳が小鹿の様に愛らしく、顔だけが真っ黒で全身ふわっふわな毛に覆われた、まるで小熊のように愛らしいワンちゃんでした。

事情を聞くとどうも側溝にはまってしまい、身動きが取れなくなっていたらしいのです。仔犬の周りには誰もいないことから、捨てられていたのではないかとのことでした。
そのお宅にもワンちゃんがいるので連れて帰れないということで、一旦預かることになりました。

幼い頃、隣のお宅に仔犬が産まれたことがありました。コロコロっとしたその愛らしい姿に魅了され、ワンちゃんのことが大好きになりました。

しかし、立ち上がると私と同じ背丈のワンちゃんに追いかけられ、飛びつかれたことがトラウマとなり、ワンちゃんの事がすっかり苦手になってしまったのです。同じ様に幼少期に怖い思いをしたことから、猫ちゃんのことも苦手でした。
それなのに縁あって、動物たちの病気を治す『獣医さん』と結婚することになったのです。

そんなことからワンちゃんに慣れるようにと、結婚と同時にトイ・プードルのミルキーと暮らし、開業してすぐに保護した猫の甲斐ちゃんを「病院の仲間」に迎え、猫ちゃんに慣れる練習をすることとなりました。

しかし、どうしても猫ちゃんに対する恐怖心が抜けず、甲斐ちゃんを受け入れるのには時間がかかりました。
それに対して、保護されやって来た仔犬は本当に可愛らしかったので、抵抗する気持ちが全く湧きませんでした。苦手とは言いながら元々仔犬のことは大好きだったので、かえって一緒にいることが楽しくてなりませんでした。

病院で仔猫の甲斐ちゃんを飼うことになり、我が家にはミルキーもいるということで、主人は仔犬を飼って下さる方を探すことも考えていたようでした。


ということで先のことは未定ですが、新しい飼い主さんが見つかるまで名前を付けてお世話をすることとなりました。
そして付けた名前が「ハチ」。
取り敢えずの名前ということで、「忠犬ハチ公」の様に賢く素直で可愛らしい子に育ち大切に飼ってもらえる様にという思いを込めて「ハチ」と名付けました。

「ハチ、飼い主さんの言うことをよく聞いて、たくさん可愛がってもらうんだよ♪」そんな風に声を掛けたことを覚えています。


ハチはすぐに我が家のミルキーと猫の甲斐ちゃんと仲良くなり、同じ87年の7月生まれの甲斐ちゃんとは特に大の仲良しでした。
時々一緒に犬舎の中に入れてあげると楽しそうにじゃれ合い、しばらく遊んだ後は大人しくちょこんと並んでこちらを見ていました。その姿がなんとも微笑ましくて、見ていて思わずにんまりしたものでした。

こうして馴染んで行く姿を見て「ハチも病院でみんなと一緒に暮らして行くのがしあわせなのかもしれないな」と思いました。その事を主人に相談したところ、主人も同じ様に思っていたと分かり、その後ハチを大切な「病院の仲間」として迎え入れることとなりました。


ハチの顔は、遠くから見ると真っ黒!!

ある日、外にいたハチの顔を見て「オイ!あの犬あんな顔して、可哀相だなあ」と、男性が子供さんに話しかけている声が聞こえて来たことがありました。
「可哀想だなあ」の言葉にショックを受けましたが、ちょっと笑えても来ました。確かに仔犬の時は小熊の様に愛らしかったハチも、成長途中の黒い顔は知らない人から見たら、ちょっと変かも!

そんなハチの顔も年を重ね白い毛が混ざるようになり、徐々に変化をして行きました。でもハチの優しさと愛らしさは少しも変わりなく、ずっとずっと可愛いままでした。


夜、診療が終わった病院で、甲斐ちゃんとハチと一緒によく遊んだものでした。
ハチが甲斐ちゃんを追い掛け回し、甲斐ちゃんは逃げる所がないと廊下の奥まで走って行き止まりで降参したかのようにお腹を見せるので、ハチに舐められて体中ヨダレだらけにされていました。二匹は本当に仲良しでした。

そんな甲斐ちゃんが五歳の時に慢性腎臓病に罹ってしまいました。しかし日々の投薬と一日おきの点滴でいい状態を保つことが出来たので、二匹は変わることなく楽しい時間を過ごしていました。

それから三年近くが経とうとしていた頃、甲斐ちゃんの病状は徐々に悪化していきました。しかし亡くなる三日前にも夜の診察室を歩いたり、検査室を走るハチと私の後について走っていました。どこにそんな力があったのでしょう。

そして甲斐ちゃんは約三年の闘病生活を経て、七歳と七ヶ月という短い生涯を閉じました。

最後に甲斐ちゃんのそばにハチをいさせてあげてようと思い、甲斐ちゃんの部屋の扉を開けると、ハチがササッと勢いよく入って行きました。
甲斐ちゃんの顔をペロペロ舐めたりいつもの様に手や足を触るのですが反応が無いので、「ねえねえ」とでも言っている様に背中を噛んだり何度も引っ張ってみたりしていました。
いつも楽しく遊んでいた甲斐ちゃんがちっとも動いてくれないのでハチはおかしいと思ったのか、動きを止めました。そして身動きひとつせずに、どこか遠くの方をずっと見つめていたのです。

そんな姿が切なくて、ハチを犬舎に戻しました。
すると隣の甲斐ちゃんがいる方をすごく心配そうに、じ~っと見つめ続けていました。あんなに哀しそうな目をしたハチを見たのは初めてでした。
二匹でじゃれ合って遊ぶ姿をもう一度見てみたいと、心から思いました。


甲斐ちゃんとお別れした後のハチの日常は、それまでと変わりなく過ぎて行きました。しかし遊び相手を無くしたハチは、やはりどこか寂し気に見えました。子供の頃は真っ黒だった顔もすっかり白くなり、気付けばハチもシニアの仲間入りをしていました。
そんなハチにも何か楽しいことが見つかったらいいのにな!と思っていた頃、なんと姉から「ワンちゃんを飼ってみたいんだけど・・・」と相談を受けたのです。

姉も私同様、幼い頃からワンちゃんを飼ったことがないのですが、ワンちゃんと一緒に暮らしてみたいと言うのです。姉の希望はワンちゃんを初めて飼うので、大人しい子なら仔犬でなくてもいいということでした。

「それならハチがピッタリかも!」それに姉の家には子供が三人いるので、きっと賑やかで楽しいだろうし、家庭の温かさの中で余生を送れることは、ハチにとってとてもしあわせなことだと思いました。


話はとんとん拍子に進んで行き、ハチのお引っ越しの日となりました。ということで、ミルキーも一緒に今日からハチが住む新しいお家へと向かいました。

姉の家に到着し、楽し気なミルキーの横で何かを感じるのか少し緊張気味なハチ。ふと見ると、受け入れ側の姉も同じ様に緊張しているではありませんか。そんな二人の姿が微笑ましくて思わず笑ってしまいました。

お世話の仕方や飼うに当たっての注意点などを話していると、床にハチが横たわって、そのハチの体をミルキーがペロペロ舐め続けていました。
ハチの体はミルキーのよだれだらけに(汗)。でもハチもリラックス出来て良かったかな♪

リラックスしたひと時を過ごし、いよいよお別れの時が来ました。

普通ならハチも一緒に車に乗って帰る所を、ハチだけ置いて帰るのです。これからまた新たに楽しい日々を送ることが出来ると信じていながらも、これまで一緒に過ごして来たので、お別れとなるとやはり淋しいものです。

「ハチ、待っててね!」と言うと、ソファーに座ったハチが大人しく待っています。
「マッテ!」と言われても、段々遠ざかる私達を追って来てもおかしくはないのですが、ソファーに座り緊張気味の姉の横に座ったまま、こちらをじっと見つめて動こうとしません。何かを察したのか、ソファーから飛び降りることなく、姉の横でこちらをじっと見つめ続けているのです。

我慢させている様でちょっと切なくなり「ハチ、おいで!!」と声を掛けたい思いをぐっと堪え、ハチのこれからを姉の家族に託しました。でもこういう時も大人しく出来るハチを見て、きっと大丈夫だと思いました。
「ハチ、みんなに可愛がってもらって、しあわせになるんだよ♡」
こうしてハチのしあわせを心から願いながら帰路に着きました。


ハチが姉の家にお引っ越しをしてからも、時々ハチに会う機会がありました。ハチは私を見るなり嬉しそうに駆け寄り、ぴょんぴょんとはしゃいで喜び、私もハチに会うのがとても楽しみでした。

ハチは雷の音をとても怖がると聞きました。雷が鳴るとブルブル震え、花火や救急車の音など大きな音が苦手だったことを初めて知りました。

長く一緒にいてもハチは病院の犬舎にいて常に一緒にいる訳ではないので、怖い思いをして震えていたのかと思うと、ハチに可哀相なことをしたと申し訳なく思いました。
でも姉の家では誰かがハチに寄り添い、時には抱っこをして守ってくれたお蔭で、次第に静かになって行ったようでした。こんなことからも、姉の家に迎え入れてもらって、本当に良かったなと思いました。

姉も初めて迎え入れたその当時は分からないことがいっぱいで、ハチの気持を理解しようと一生懸命だったと話してくれました。
姉が車でお買い物に出かける時に、いつもハチが障子越しに姉のことをじっと見つめていたので、一緒に来たいのかなあと思い、ある日「ハッちゃん、一緒に行く?」と聞くと、とても嬉しそうに車に飛び乗ったそうです。外の景色を眺めながらハチはどんな事を考えていたのでしょうか。きっとハチにとって、それはそれは楽しい時間だったのではないかと思います。
「ハチ、一緒に連れて行ってもらって本当に良かったね♪」

こうしてハチは穏やかな日々を過ごしていた様でした。


そんなハチは11歳から僧帽弁閉鎖不全という心臓の病いを患っていました。しかしお薬で上手にコントロール出来ていたため、急に悪化することはありませんでした。

そして、その日は突然やって来ました。

ある朝「ハッちゃんの息の仕方がなんかおかしいよ!お母さん、来て!!」と、姉が子供たちに呼ばれたそうです。急いで行くと、そこにはいつもと様子が明らかに違うハチがいたそうです。

見るからにとても弱っているように見えたのですぐに抱き上げ、これはおかしいと思い「急いで病院に・・」と電話をしたそうです。でも「これはもう亡くなるのかもしれない」と思い、電話をするのも途中で止めて見守っていると、ス~っと静かに息を引き取ったということでした。

ハチは心臓のお薬を飲んではいましたが、治療で痛い思いをしたり、長く患うこともなく、いつもと変わらない朝、姉の腕の中で子供たちに見守られながら息を引き取ったようでした。そんなハチを見ながら、悲しくてみんなしくしく泣いていたと、姉が聞かせてくれました。

その日私は犬のしつけの講習を受けに、東京に行っていました。そこに二番目の姉から、メールが届いたのです。「何故よりにもよって、すぐに駆け付けることが出来ない今なの?」と思いました。
あまりに突然のことに、その現実をなかなか受け止められませんでした。講師の先生のお話が全く頭に入らず、ハチが来た頃からの出来事が走馬灯の様に思い出され、胸が締め付けられるように悲しくてたまりませんでした。

その後、その日の内にハチとお別れをしたと聞きました。最後の最後にハチに会えないままお別れすることが、正直堪えられませんでした。でも東京に宿泊するため途中で帰る訳にも行かず、その現実をそのまま受け入れるしかありませんでした。

姉の話によると、その日はたまたま家族全員が揃っていたので、その日の内にみんなでハチとお別れをしたかったということでした。その言葉を聞いて、最後に一目会いたかったという思いはぬぐい切れませんでしたが、家族みんなに見守られながらお別れできたことは、ハチにとって一番幸せなことだったのだと受け止めることが出来ました。


ハチとのお別れの後、姉と話していたら、あの時はあっという間の出来事で、突然その時が来たような感じだったそうです。

そして今回ブログを書くに当たって、姉にあの頃のことを思い出しながら今ハチに伝えたい思いを聞くと、
「あの時、何で異変に気付けなかったのかな? もっとよく見てあげていたら気付けたのかな・・・ハッちゃん、こんな新米ママの所に来てくれて、本当にありがとう」だそうです。
ハチも「最後まで一緒にいてくれて、優しくしてくれて本当にありがとう」と、いっぱい感謝しながら虹の橋を渡って行ったのだと思います。

ワンちゃんを初めて迎え、分からないことや思わぬことなど、きっと大変なこともあったことと思います。そんな姉の家族の皆に、私からもお礼を伝えさせて欲しいと思います。
「いつも変わらぬ笑顔で、家族みんなでハチを大切に育ててくれて、本当にありがとうございました」

ハチもよく頑張ったよね。ハチ、本当に本当にお疲れ様でした。


12歳の時に姉の家族の一員として迎え入れられ、いつも誰かがそばにいてくれる、そんな人のぬくもりを感じながら過ごせたことは、ハチにとって本当にしあわせなことだったと思います。
また持病を抱えながらもひどく苦しむことなく、17歳まで生きることが出来たことも本当に素晴らしく、とても嬉しいことでした。

マスダ動物病院とご縁があり「病院の仲間」となった子は、全部で18匹と1羽。その中には色んなタイプの子がいます。
そんな中で、ハチは「天使の様に穏やかな子」のひとりです。ハチ以外に、猫の甲斐ちゃんとトイプードルのルイちゃんがその仲間です。

「病院の仲間」になったどの子も優しく愛らしいのですが、とても活発だったり、時に激しい面を見せることもありました。しかしこの3匹は似ていて、どんなことも素直に受け入れ、とても優しかったのです。

仔犬は社会性を身につける幼少期に、「人って怖いものじゃあないんだよ」「車もバイクも風に揺れはためく店先ののぼりも、みんな怖くないんだよ」と怖い経験としてではなく、良い経験として記憶させ、受け入れられるようにしていきます。
それと同じように、動物を飼ったことがなく、幼い頃に怖い思いをした私にとって、開業して間もなく出会ったハチと甲斐ちゃんは「ワンちゃんや猫ちゃんは怖いものじゃあないんだよ」と身をもって教えてくれたように思います。

私にとって最も大切な、動物に対する恐怖心をクリアするという体験をさせてくれるために出逢ってくれたような、そんな気がするのです。それほど大切な存在でした。こうやってお話していると、なんだかすごく会いたくなってしまいます。

ハチ、出逢ってくれて、本当にありがとう。
大好きだった甲斐ちゃんとお別れして少し寂しそうだったけれど、お空の上でまた会えたかな?
また一緒に楽しい時間を過ごしてくれていたらいいなと思っているよ。

ハチ、長生きしてくれて本当にありがとう。
ハチのこと、ずっと忘れないよ♡


担当 増田葉子

 

 

 

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