ねこちゃん

 

カチカチと爪を鳴らして病院内をお散歩していた“ねこちゃん”が亡くなった。自由気ままに病院内を歩き続け、疲れたら横になり、時々いびきをかきながら、毎日のんびりと過ごしていたねこちゃんが亡くなった。 ねこちゃんが19歳の時のことでした。

大学の実習犬だった仔犬を、大阪府立大学付属動物病院の研修生だった主人がもらい受け、夏休みにバイクのハンドルにかけた手提げ袋の中に入れ、静岡に連れて帰って来たのが、1973年のある日のことでした。

あの時のねこちゃんは、瞳がダイヤの形をしていて本当に可愛いかったんだ♪」と主人は言っていましたが、私が嫁いで来た時に見たねこちゃんは「その犬は触っちゃダメダヨ。ご飯を食べている時に触ると咬むから近寄らないようにね!」と言われた、とっても怖い犬でした。
骨格がガッチリしていて足が短く、耳と頭がやけに大きくて、中途半端な色のブチ模様の入った、なんともパッとしない犬でした。

家族のみんなに色んな名前で呼ばれても振り向かなかったのに、「ねこちゃん!」と呼ばれた時つい振り向いちゃったのが「ねこちゃん」と呼ばれるようになった所以だとか。それから19年もの長い間、ねこちゃんは犬なのに“ねこちゃん”と呼ばれるようになりました。

隣の義母の元で暮らしていた頃のねこちゃんは、あまり人と接する機会もなく、母屋の裏の砂利の上をぶらぶらと気ままに歩き、暑い日、寒い日は小屋の中に入って眠るような毎日でした。
私が愛犬のミルキーを連れてお散歩している途中に、ねこちゃんのいる小屋に立ち寄り呼びかけると、上目使いにこちらを見て“また来たのか、本当にうるさいなぁ。”と、いかにも面倒臭そうな表情ですぐに遠くに行ってしまう様な、人には全く興味のない犬でした。

ある時「ひとりぼっちでいるのも可哀想だ」と、助産院を営んでいた義母が患者さんの行き来のある表玄関の脇に犬小屋を作り、リードで繋いで飼うことにしました。
“ああ、これで色々な人に声を掛けてもらったり触ってもらえるし、良かったなあ”と思っていたのに、気ままに暮らして来たねこちゃんにとっては、それが大迷惑なことの様でした。繋がれているのが嫌で、グルグル回っていたら身体にリードが巻きついて大変なことに・・・。という訳で、ねこちゃんは結局また人から離れたひとりぼっちの生活に戻ることとなりました。

そんなある夏の暑い日、「としゆき~、ねこちゃんが倒れちゃったよ~!」と義母が慌てて飛び込んで来ました。その後、主人に抱えられ連れて来られたねこちゃんは、呼吸が荒く意識も朦朧とし、診察台でぐったりと横になったまま動けない状態でした。すぐに処置をしたのですが心臓がかなり弱っていて、2~3日の命かもしれないということでした。

しかし、なんと嬉しいことに、その後、数日間の治療の成果もあり、予想外の回復をしてくれました。

それからねこちゃんは寒暖差の少ない病院内で、新しい“病院の仲間”として、私達や他の仲間と一緒に暮らすこととなりました。
ねこちゃんが16歳の時のことでした。

ずっとひとりぼっちだったねこちゃんも、病院で皆と一緒に暮らすことになり、それから少しずつ変わって行きました。

気が付くとあんなに人に対して無表情だったねこちゃんが、名前を呼ぶとこちらに来て身体を大人しく撫でさせ、お耳をマッサージすると耳を押しつけて甘え、語りかけると人の顔をじ~っと見つめて耳を傾けるようになりました。

姿形もパッとせず、あまりに素っ気なくて、残念なくらいに可愛らしいとは思えなかったねこちゃんでしたが、毎日関わることで、“人というものは、なかなかいいもんだなぁ”とでも思ってもらえたのか、甘える仕草も見せてくれるようになり、日に日に何とも言えない愛らしさを感じるようになって行きました。

そうして秋が過ぎ、寒い冬も越え、季節は春へと移って行きました。
そよそよと気持ちのいい風が吹く日は、外にタオルを敷いて1日中気持ち良さそうに風に吹かれながら眠っていたねこちゃん。「この夏は大丈夫かな?冬はどうだろう?」と心配しながらも、ご飯をモリモリ食べ、穏やかに時が過ぎて行きました。

17才、18才と変わりなく暮らしていたねこちゃんも、19才になる年の初め頃から寄る年波には勝てず、急激に足腰の弱さが目立つようになって行きました。そして人間でいう90歳を超えた頃には、既に認知症が始まっているようでした。

朝まで我慢出来ていた排尿、排便が待てず、うんちの上に寝ていたり、ひどい時は犬舎の中がうんちやおしっこで見事に汚れ、おまけに身体も汚れ放題。排便、排尿の問題から始まり、病院内に放すとずっと止まることなく徘徊し続け、後退が出来ず前進のみで、どこか狭い所にはまれば自力で出ては来れず、立ち往生。

又、老化のために耳は全く聞こえず、手足の筋力が衰え、座って食事をしていてもいつの間にか脱力し伏せってしまい、この頃のねこちゃんは大変なことが幾つも重なって起きていたのかもしれません。しかし幸いなことに朝晩が逆転し、夜中に大声で鳴くなどの困った症状が全く出なかったのは、本当に助かりました。

手足を持たれ、爪を切られることを嫌っていたねこちゃんは、心臓が弱いため、無理に爪を切ろうとして興奮し、もし何かあったりでもしたら困るという理由でずっと爪を切れずにいました。
夕方になると院内を自由に歩き、歩く度カチカチと鳴るその音は何かと飼い主さんに尋ねられ、ねこちゃんの話をしたものでした。
皆さん19才という年齢に驚かれ、高齢のワンちゃんを飼っていらっしゃる飼い主さんは、ご自分のワンちゃんのことと照らし合わせて「家の子もねこちゃんを見習って頑張らなくちゃ、ねこちゃん頑張って!!」と、セッセと歩くねこちゃんを見て、よく応援して下さったものでした。

ある時は何気なく歩いているねこちゃんのシッポの下に、何かブラブラ動いて見えるものがあり、何かと思ったらねこちゃんのうんちだったということがありました。その姿が何とも平和で可笑しくて・・・。

またある晩に、ねこちゃんとかくれんぼをしたこともありました。認知症も始まっていたねこちゃんでしたが、私の後をついて来て、ちょっとしたタイミングでレントゲン室に隠れて扉を少しだけ開けて見ていると、数歩歩いては立ち止まり、ゆっくり周りを見渡して私のことを探して歩くねこちゃんの姿が見えました。
以前は「ねこちゃん!」と呼び掛けると横目でチラッと見て、さっと遠くに行ってしまったねこちゃんが、認知症が始まっているのに、私の姿を探していることにとても驚きを感じました。またそんなねこちゃんのことが、愛おしくてなりませんでした。

こうした平和な毎日が、まだまだずっと続くものだと思っていました。19才という年齢からも、お別れの時期がそう遠くはないだろうと思いながらも、ねこちゃんがいなくなってしまうことは、全く考えられないことでした。

しかしねこちゃんが担ぎ込まれて来たあの時から3年目のある春の日に、あんなに楽しみにしていた食事もとろうとせず、全く元気がなく動こうとしなくなってしまったのです。
いつもの様に「ねこちゃん!」と声をかけ、近寄り顔を覗き込むと、左顔面がなんだか妙に腫れていました。日頃とても静かにじっとしているねこちゃんでしたので、気付いてあげることが出来ませんでした。ねこちゃんは元気も食欲もなく、じっとしたまま私の顔をじーっと見つめ、なんだか間もなく息を引き取ってしまうのではないかと、とても不安になりました。

ねこちゃんの顔の腫れは、歯周囲炎により歯根の奥まで菌が侵入したために発生したものでした。高齢に加え、心臓病も抱えていたために全身麻酔がかけられず、歯石を除去してあげられなかったので、そこから菌が入り化膿し、眼の下に膿が溜まったために腫れ上がってしまったという訳です。

次の日もあれほど元気だったねこちゃんが食事もとらず、お水すらも飲もうとせずじっとしたまま動くことはありませんでした。主人はそんなねこちゃんの姿を見て可哀相に思い「ねこちゃんは痛いとは言えないだけで、本当は痛いはずだよ。取り敢えず抗生物質の注射で腫れが引くか見てみよう」と言って、抗生物質の注射をしてくれました。

私は頬が腫れ上がり、動くことも出来なくなる程痛い思いをしているねこちゃんに「食べて!」と言うのは酷なことだと知りつつも、とにかく生きて行くために少しでも食べてほしくて、その夜もずっと「食べて、ねこちゃん食べて!」と声をかけ続けていました。
ねこちゃんは自分からはお水も飲まず、1時間、2時間と何をしても全く食べようとはしませんでした。心臓にも疾患があり高齢のため、いつ何が起こってもおかしくない状況なので「もうこれでおしまいなのかな・・。」と諦めかけました。しかし最後にもう一度「最後のお願いだから、ねこちゃん食べてー!これを食べなきゃ、ねこちゃん死んじゃうんだよー」と悲痛な思いで目の前にフードを差し出したその瞬間、今迄の事が全く嘘の様に、勢い良くガツガツと食べ始めたのです。何をしても食べようとしなかったねこちゃんが急に食べ始め、本当にびっくりしました。
それと同時に“良かった、これならもう少し頑張れるかも!”と驚きと嬉しさで、しばらく涙が止まりませんでした。

3日目も顔の腫れがかなりひどく、左眼も完全にふさがり食事をとるのも大変なはずなのに、ねこちゃんは時間をかければ頑張って食べられるようになりました。とても痛いはずなのに、じっと我慢しているねこちゃんが、余計にいじらしく思えてなりませんでした。
そして4日目、パンパンに腫れ上がり、目を開けることさえ出来なかった左眼下の膿が、なんと皮膚を破って流れ出ていました。かなりの異臭はするものの、眼も開き、少し歩けるようになり、思った以上によく食べてくれて本当にほっとしました。

それからのねこちゃんは少しずつ元気を取り戻して行きました。もう寝たきりでも、生きてさえいてくれたらそれだけで充分だと思っていたねこちゃんが、見事に復活してくれました。しかし以前より足腰の力が弱くなり、食事は身体を抱えるように支えてあげなければとれない状況になっていました。

それから3週間後の朝、ねこちゃんを外に連れ出し、普段通りに排尿を済ませました。すると突然身体が堅くなり、目を見開いて倒れたきり動かなくなってしまったのです。
“とうとう来たんだ!”とうろたえる私に「心臓はしっかりしている。お前もしっかりしろ!!」と主人。幸いにもすぐに意識は戻り、取り敢えずその日は1日犬舎の中でゆっくりと休ませることにしました。

やはり食事は無理だろうと思ったのですが、食べられる時に食べて力をつけてほしいという思いから、試しにやってみました。いつも諦めずに根気良くつき合っていると、必ず食べてくれるねこちゃんは、この時も最後に食べてくれました。

その二日後もかなり状態が悪く、食欲もなく、お水も全く飲もうとしませんでした。しかし主人がねこちゃんの身体を支え、二人で声をかけながらフードを差し出ししばらくするとまた嘘の様に見事に力強く食べ始めてくれたのです。主人はこのねこちゃんの頑張る姿を見て「本当に信じられない」と驚いているようでした。

3月27日。念願だった病院の前の花をバックにビデオ撮影。花の前をヨロヨロ歩くねこちゃんが急に排便を。「これも生きている証拠だから♪」と弾む心で撮影続行。
3月28日、血便。3月29日、少し元気に。3月30日、上手く舌が使えないのかフードが口の中に入って行かず、鼻からカテーテル(細いシリコンの管)を通し、ミルクの強制給餌と脱水しないように点滴もしました。とにかくやれることは全てやってあげたいと思っていました。

そして3月31日の朝、とうとう全く動けなくなってしまいました。それまでは支えてあげさえすれば立っていることが出来たのですが、この日は身体に力が入らず、“ぐにゃっ”としていて、もう支えても立つことが出来ませんでした。

そしてその晩もいつもの様に身体をさすりながら、ねこちゃんにずっと語り掛けていました。いつもは私の顔をじっと見ていたのですが、この日はもう焦点が合わず、時折苦しそうに手足を動かし、気持ちが悪いのか舌をペロペロと動かしていました。

それまではたとえ寝たきりでもいいので、出来る限りずっと一緒にいたいと思って来ました。しかし、この日の夜はきっと今夜が最期、お別れの時が来たんだと感じて、“もういいよ。ねこちゃんはもう充分に頑張った。もうこれ以上頑張らなくていいよね~”と声を掛けていました。
これで最期だと思うと淋しさと悲しみでいっぱいになり、涙が止まりませんでした。しかし、この1ヶ月間のねこちゃんの頑張る様子を見ていて、もうこれ以上望むものはないと、お別れの覚悟は出来ていました。

こんな風に受け止められるまでの時間を与えてくれたねこちゃんに、「ねこちゃん、本当にありがとう」と何度も伝えながら思いを込めて身体をさすっている内に、ねこちゃんは寝息をたてて、静かに眠り始めました。
とても可愛いらしく、安心しきった顔をして・・・。

ねこちゃんを犬舎のお部屋に戻し、ゆっくりと眠るねこちゃんの周りを、綺麗なお花いっぱいで飾りました。その姿をその後もしばらくの間、眺めていました。初めて出逢ったあの時、あんなに激しく怖いと思ったねこちゃんが、穏やかなとても可愛らしい寝顔ですやすやと眠っていました。

そして次の日の朝、ねこちゃんは昨晩と同じ安らかな寝顔のまま息を引き取りました。少しも苦しんだ様子もなく、19年もの長いこの世の最期の幕を閉じることが出来ました。何の悔いもなく素晴らしい最期だったと、本当に嬉しく思います。

こうしてねこちゃんは、穏やかな春の日に桜の花の咲き乱れる木々の下をくぐりながら、仲間の待つ世界へと旅立って行きました。

ねこちゃんとの出会いと最後のお別れには、気持ちの上でとても大きな違いがありました。
動物を飼ったことがない私が動物に慣れるために、主人は私がお嫁に来る前から、ワンちゃんを飼うと決めていました。飼うに当たって、どんな犬種がいいか話していると、「噛むから触らない様に」と言っていたねこちゃんを飼ったらどうかと義母が真顔で言い(今では思い出すと笑えますが)、内心“え~、それはちょっと・・・”と、とても受け入れることが出来ませんでした。その後、知り合いの方から、とっても可愛らしいプードルとのご縁を頂き、その子(ミルキー)を家族として迎えることとなりました。

しかし、ねこちゃんが16歳の時、心臓発作で連れて来られたことから病院の仲間となり、家族の様に一緒に多くの時間を過ごすことになり、沢山の思い出が出来ました。

ねこちゃんとの暮らしを通して、私は老犬が大好きになりました。あんなに激しかったねこちゃんが年を取り、背中を丸くしてとぼとぼ歩く姿が愛おしくてなりませんでした。
また病院の裏で、風に吹かれひとり気持ち良さそうに寝ていたり、ブラブラ歩いては立ち止まってじ~っと外を眺めていたり・・・。そんなねこちゃんのそばに行くと、私を見つけ近寄り私の顔をじ~っと見つめ、両手を差し出すと顔を乗せて甘えて来てみたり・・・。
どんな時もあるがままを受け入れて、自然体で生きている。優しく愛らしく、純粋で温かい、そんな老犬の何とも言えない雰囲気が、とにかく大好きになりました。

ねこちゃんとお別れした時に、病院のおたよりに書かせて頂いたことがありました。

手の平に乗ってしまう程の大きさで我が家にやって来たその日から、どんな時もそばにいて心を和ませ、癒し続けてくれた大切な大切な動物たち。嬉しい時、楽しい時はもちろん、淋しい時、悲しい時もじ~っとこちらを見つめ、心配そうに覗き込んだその表情に、私たちはどれ程勇気を与えてもらって来たことでしょう。
純粋な思いのみで接し続けて来てくれた動物たちの残された大切な年月を、今迄の数え切れないしあわせな時間への感謝とお礼の気持ちで、今度は家族である私達が最後まで温かく見守り続けてあげられたらと思います。

ご家族の一員であるワンちゃんネコちゃん達も、どうかしあわせに満たされた日々を送れますように・・・。

 

文中の一部のイラストは当院HP内のねこちゃんと趣が違っていますが、これは私が院内でお配りする“マスダ動物病院だより”にお別れした事を書いた時に描いたもので、今回それに色を入れてみました。 

担当 増田葉子

 

 

 

動物病院の仲間たちトップページに戻る